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2019インカレロード Photo:Keiko.K |
正直、「自転車を続ける」という選択をしたことを後悔していた時期があった。
自転車も練習も好きだと豪語しているが、それは気持ちがノッている時の話。夢も希望も野心も持たずに乗る自転車は何も面白くない。
あの夏に確かにあった人馬一体の感覚は消え失せ、幾らペダルを回せど、宛てもわからない焦りともどかしさだけが募る。あれだけ頼りにしていたパワーメーターが教えてくれることと言えば、今のお前はどうしようもなく弱いという事実のみ。
目的地を決めずに走るのは、実は足踏みをしているのと大差が無い。自由気ままに見える猫が本質的には何処へも向かっていないのと一緒だ。
自転車という存在が自己表現を越えた自分そのものとなっていたからこそ、自分の心が前へ向かっていなければ自転車もまた応えてはくれなかった。
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秋。枯れゆく葉がある一方で、残り続け輝く葉もある。前者が最期に輝く瞬間を、人はこぞって”美しい”と言う。不思議な話だ。夢半ばで潰えたとしてもそこには美がある。
美しさを語る際には絶対的な尺度を持ち込むべきではないのかもしれない。
秋。明暗の別れる季節だ。いつだってそう、答えは突然、我々の前に現れる。
「お前は凡人だ」
大学での4年間の競技生活で返ってきた答えだ。インターハイで叩きのめされた高校時代と何も変わっていない。私は敗者のままだった。自転車に乗り始めてからの10年間、ずっとこの位置だ。
自分がどっち側の人間なのか、ただそれだけが知りたくて走っている。答えが出る度に、違うと声を上げながら。
試合後の夜はいつも眠れない。ドロドロとした感情に飲み込まれそうになる。噛み砕くことも飲み込むことも出来ないこの感情を、誰かに伝わる形で言語化することも出来ない。この感覚を共有できるのは同族の人間だけだろう。
吐き出せば楽になるのは分かってる。でもそれは、この世界から降りることを意味している。
唯一にして絶対の対抗策は「勝つこと」だ。
幸いなことに、数年に一度のペースで私にもその瞬間が回って来る。その晩は格別だ。いつも以上に眠れなくなる。幾ら金を積んでも得られない、何物にも代え難い快楽がそこにある。
スポーツなんてそんなもん。根源的にみたら生物としてのマウントの取り合いでしかない。文化というフィルターを通じて本能を消化しているだけ。
その甘い蜜に踊らされているのかもしれない。でも生きるってそういうことなんじゃないか。
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「悔しい」という感情が嫌いだ。でもそれは悔しさを感じることが嫌なのではない。
悔しいなんて思いが出てくるくらい、世界を舐めて自惚れている奴が嫌いなだけ。他者を本気で認め、この世界での自分の正確な立ち位置を知っていれば、そんな感情が出てくるわけはない。
だから悔しいとは思わなかった。インカレも、全日本学生も、国体も。
自分が凡人であるという結果を突き付けられたことが、ただただショックだった。
史上最高の自分である自信があったからこそ、本気でショックだった。
一週間近く、自転車に乗りたいと思えなかったのはいつ以来だろう。
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次に走り出す時は、全て真っさらにしたところから再スタートを切るんだろうなと思っていた。そうでもしなきゃ、とてもじゃないけど走れる気がしなかった。それくらい、どうしようもないくらい、今年の夏は重かった。
だから全部リセットしようと思った。就職すれば生活環境がガラッと変わる。自転車との距離感を見直すにはいい機会だ。
これは世間でいうところの「大人になる」ってことだろう。好きなもので上を目指すなんて愚かな行為、普通は学生で終わりだ。
新しい距離感で、自分なりに上を目指すだけでもいい。プロじゃない時点でどこまでいっても遊びでしかない。趣味に人生を懸けるなんて馬鹿げている。
楽するための言い訳は至る所に転がっている。諦めることを肯定する術は幾らでもある。
でも、それはここまでの自分への裏切りなのではないか。ここまで背負ってきた"負け"はそんなに簡単に捨てていいモノなのか。無かったことになんてしていいのか。
好きだからこそ、中途半端な覚悟でこの世界に残ってはいけない気がした。
変えられないモノは受け入れるしかない。リセットなんてしたら、それこそ自分で自分を認められる唯一のモノである「熱」まで失ってしまう。
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ヒトは社会性を覚えた時に一度死ぬらしい。別にこれは悪いことじゃない。みんなと一緒は居心地が良い。然すれば一人で矢面に立たされることもないだろう。
上手くやっていくためという曖昧な価値観が、我々を「大人」へと変えてゆく。ヒトが人になる瞬間だ。
かく言う私も、自身の大半は既に社会に埋没させている。特に後悔も無い。社会が望む在るべき姿から逸脱する理由も、逸脱してでも守りたいと思えるモノもそこにはなかった。
この世界は、牙を剥かない者にはひどく寛容である。
「大人」になるべきなのか。ひどく悩んだ。
でも、自分の好きな"特別な世界"くらい、守り続けるべきだとも思った。
もっと言えば、大好きという感情くらい真っ直ぐ貫き通すべきだと思った。
人間らしく生きる上で一番大切なことは、どう在るべきかじゃない。
どう在りたいかだ。
同じことの繰り返しだ。俺は欲しい答えが出るまで走り続けるのだろう。
私の未来に、走り続ける意義はもう無いのかもしれない。
でも、止まらなくてはならない理由もまた、どこにも無い。
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全日本学生クリテ Photo:Keiko.K |
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