リスクと向き合う



「落車する奴の後ろにいるのが悪い」



競技として自転車と関わっている人間なら一度は聞いたことがある言葉だろう。


誰もがアクシデントの原因にも被害者にもなり得る環境下で、円滑に物事を進めてメンタルヘルスを安定させるのに一番良い考え方かもしれない。そしてこの言葉の裏には、アクシデントを抑えるためには自分自身の行動を鑑みるしかないという思いが込められているように感じる。


「目の前で転ばれたらどうしようもない」嫌というほどわかる。特にその理由がしょうもないものであればあるほど言葉には出来ない気持ちが込み上げてくる。

だからこそ自分がアクシデントの原因にならないよう、技術という意味でも心構えという意味でもお互いを尊敬出来るレベルまで高めなくてはならないし、例えアマチュアでもレースに出る以上それが義務だと個人的には思っている。



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5/26に行われた全日本学生クリテリウム。私はスタート直後に発生した落車に巻き込まれた。避けて停止出来るくらいまでには回避行動を取ることが出来たが、そこに後ろから突っ込まれてしまったのでもうどうしようもなかった。

ヘルメットの破損は確認。というかチームメイトや友人の被害状況も機材の破損もそれによる経済的損失も今後のことも、そして再乗することで起こり得るリスクのことも全て頭にあった。恐ろしいくらい頭は回っていた。

全てを天秤にかけた上で再乗して復帰することを選択。勿論、自らの様態を鑑みた上でいつもと同じ次元で安全にレースを続行することが出来るだろうから大丈夫だという判断の上で。


ただ、これは"自分のため"の選択であった。



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同日に行われた「ツール・ド・宮古島」では落車によって命を落とした方がいたとの報道があった。自転車に乗るという行為の先に死の可能性があること。これは他人事でもなんでもない。彼らは我々のすぐ近くで息を潜めて待っている。


「自転車に乗る以上、自分の命も他人の命も奪う危険性があることを考えろ。」これは中高で6年間お世話になったチャリ部顧問の言である。



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セカンドインパクト症候群のことを考えると昨日の自分はかなり危険な状況にいたのかもしれない。脳外科では脳震盪の診断を貰った。

どれだけ自分が気を付けていても不可避なアクシデントは必ず存在している。自損事故は絶対起こさないように安全マージンをたっぷりとって走ってはいたが(常にそうしてるつもり)、それでも避けようのないアクシデントに巻き込まれる可能性は0ではなかった。

もし私がもう一度落車してSISを引き起こしたら、重篤な症状を呈していた可能性もあったはずである。

自分のための選択をした以上、どうなったとしても自分の中では納得がいくかもしれない。でも周囲の人間はどう思うだろうか。不快に思う人も怒りを感じる人も悲しむ人も、色々な感情や想いが出てくるだろう。



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再乗の際にホイールを貸してくれた後輩T、集団復帰の際に鬼のように引いてくれた後輩K、この2人には特に感謝しなければならない。そこまでして貰ったのに全く結果を残すことが出来なかった自分が情けなさ過ぎて嫌になる。


レース後に救護対応等で動いてくれたチームメイトの皆にはありがとうとごめんなさい。お陰様で肩と首の腫れや違和感も脳震盪もなんとかなりそうです。ただ、余計な時間と手間を取らせてしまった。後は心配をさせてしまったのかな。



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再乗という選択肢を取ったことが本当に正しかったのか、正直自分には分からない。というか正解はあったのだろうか。選択肢は二択だけど、その先の未来は不確定で無限に広がっていく。
程度の大小こそあれど、我々は何かを得ようとする以上、何かしらの対価を支払い続けている。

私が考えなくてはならないのは、その対価を払ってくれているのは周りの支えてくれている人達でもあるということ。走り続ける限り誰かの力を借りている。



自戒の念を込めてここに記しておく。



全日本学生クリテリウム ©立教スポーツ編集部




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